マガ9editor's room

マガ9編集部発の情報やスタッフが書いたコラムを随時お届けします。

日めくり編集メモ 237

| トラックバック(0)

島根県・宍道湖畔の公園に、漫画家園山俊二さんの「ペエスケ」のキャラクターである平太とガタピシの銅像が立っています。この湖など自然保護運動にもかかわった園山さんが亡くなったのは1993120日でした。

園山さんは1935年、島根県松江市生まれ。早稲田大学商学部在学中に漫画研究会を創設、後輩の福地泡介さん、東海林さだおさんとともに「早大漫研三羽烏」と呼ばれました。卒業後の就職先を半日でやめたことは有名です。その後、寺田ヒロオさんの紹介で新漫画党に加入赤塚不二夫さん、石森章太郎さんらトキワ荘の漫画家たちと交流を深めました。藤子不二雄Aさんは最初の頃の印象を「地平線の彼方から石斧かついでやってきたマンモス坊や」と記しています。

1958年、毎日小学生新聞に「がんばれゴンベ」を発表しデビュー。この作品は1992年まで連載9775回を数えました。デビュー作がこれだけ続いた漫画は他にありません。カエルでもモグラでも、メスには必ずオッパイを描くのも園山さんの特徴。大人漫画・子供漫画の枠にとらわれず「ギャートルズ」「花の係長」など作品を多数発表し、1976年には第22回文藝春秋漫画賞、翌年には日本漫画家協会賞特別賞を受賞しました。朝日新聞に「ペエスケ」を始めたのは1979年です。

社会風刺を入れなくてはいけないのかなど新聞連載に悩んだ園山さんでしたが、飼い犬ガタピシの登場以降は肩の力も抜け、ファミリー4コマ漫画としての地位を築き、アニメ化や映画化されるほどの人気作品となりました。13年間、3764回連載が続いた「ペエスケ」は19927月、園山さんの病気の悪化で休載、そのまま絶筆となってしまいました。翌年1月、肝不全のため57歳の若さで死去。園山さんの遺書にはこのようにありました。「メソメソシルナ 世の中グワンバレ」
(参考資料:園山俊二オフィシャルサイ、藤子不二雄『二人で少年漫画ばかり描いてきた』文春文庫

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://daily.magazine9.jp/mt/mt-tb.cgi/655