「文楽は守るけれど、文楽協会は守らない」。橋下徹大阪市長が文楽協会を槍玉にあげた発言が波紋を広げています。外郭団体であるがゆえに問題視していますが、今まで文楽=人形浄瑠璃を守ってきたのは、文楽協会ではないのでしょうか。
人形浄瑠璃は1685年、竹本義太夫が旧浄瑠璃から脱皮すべく、盟友近松門左衛門と提携し、竹本座を旗揚げしたことに始まります。18年後、義太夫の弟子・采女が豊竹若太夫と名を改め豊竹座を創設、この2座が競い合って人形浄瑠璃は発展しました。江戸後期に現れた劇場のひとつに文楽軒、後の文楽座があり、竹豊2座の伝統を受け継いで浄瑠璃興行の中心になっていきます。明治期には彦六座が対抗しますが打ち負かし、結果この隆盛によって文楽は人形浄瑠璃の代名詞となりました。
明治末期に文楽座の興行は振るわなくなり、松竹に譲渡されますが、度重なる劇場や人形・衣装の焼失、戦後の変化による経営難、技芸員の分裂など苦難続き。松竹が撤退を決め、その存続が危ぶまれましたが、大谷竹次郎松竹会長、佐伯勇近鉄社長らが奔走、大阪府・市を主体に国・NHKの出資で財団法人文楽協会が発足。文楽協会は太夫、三味線、人形遣いの三業全員と契約していますが、各人のタレントの絶対的評価と相対的査定を行うのは難問だったということです。
1984年、本拠地として国立文楽劇場が開場し、2003年には世界無形文化遺産に指定と順調に見える文楽ですが、ここにいたるまでの苦難の歴史を橋下市長はどれだけご存じなのでしょうか。それにしても橋下氏は敵を作るのが上手です。府立国際児童文学館や市音楽団など、いわば「リア充」っぽい文化団体を選別し、「無駄」「天下り」と攻撃。まさに橋下氏特有の、人々のネガティブな感情を動員させる手法です。何よりもそこには文化への敬意が微塵も感じられません。
(参考資料:「橋下市長が持論展開 文楽協会もやり玉に」テレ朝news、文楽協会ホームページ、『松竹百年史 本史』松竹、森西真弓編『上方芸能事典』岩波書店)