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日めくり編集メモ 246

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「菜の花忌」とは、忌日にしては何とも美しい言葉です。現在でも多くの読者を持ち、敬愛を集める作家・司馬遼太郎さんが亡くなったのは1996212日でした。

司馬さんは本名福田定一。1923年、大阪で生まれました。本好きは旧制中学時代から。大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)に進学しますが、学徒出陣で強制的に卒業させられ、軍隊生活へ。そのなかで戦争や「この国」への疑問を強く考えるようになりました。復員後、数社の新聞記者を経て産経新聞へ。京都支局や文化部時代に培った学者や僧侶の人脈が後に役立つことになります。記者を務めながら書いた『梟の城』で1960年第42回直木賞を受賞、会社を辞めて作家生活に入りました。

 

初期の歴史小説としては『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』などが挙げられます。その後、亡くなる寸前まで続けられた『街道をゆく』を週刊朝日で連載開始。明治期を描いた『坂の上の雲』、幕末を描いた『世に棲む日日』などによって国民的作家と言われるようになり、「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観を構築しました晩年は紀行文やエッセイに力を注ぎ、『風塵抄』『この国のかたち』で「この国」の在り方を問う文明批評を行いました。また、NHK大河ドラマの原作となった作品は歴代で最多です。

 

近鉄奈良線八戸ノ里駅から少し歩いたところに、司馬さんの自宅敷地に建てられた「司馬遼太郎記念館」があります。この展示で目を引くのは何と言っても、地下1階から地上2階まで高さ11メートルの壁一面の司馬さんの蔵書、その数2万冊。壮観としか言いようのないに光景に圧倒されますが、実は蔵書のうちの一部だということです。膨大な著作の元には、これだけ多くの本を読んで執筆活動に当たったのですね。今日の「菜の花忌」には館長トークがあり、菜の花のプレゼントがあるということです。

(参考資料:司馬遼太郎記念館ホームページ

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