「山、海へ行く」――このキャッチフレーズのもと神戸市は、六甲山を削って海を埋め立てその地を売却するなどで「株式会社神戸市」と言われました。主導者である元市長の宮崎辰雄さんが亡くなって、明日22日が13回忌です。
宮崎さんは1911年生まれ。立命館大学卒業後、神戸市役所入庁。原口忠次郎市長のもと助役を16年、その後市長を5期20年。技術者の原口市長が、六甲山の土を神戸港の埋め立てに活用することを発想し、これを宮崎さんが実現しました。ポートアイランドや六甲アイランドなどの巨大な人工島はその成果です。「最少の経費で最大の福祉を」という都市経営の考え方によって、埋立地の売却益や外債で、国の補助金に頼らぬ独自の市政を展開しました。
しかしその「株式会社神戸市」とまで言われた開発一辺倒の手法は、六甲の山々の自然を破壊していると批判されました。また、マリコンと呼ばれる海洋土木業者との癒着も囁かれました。宮崎さんの後継となった笹山幸俊さんは、埋め立ての抑制を公約に掲げましたが、これもいつの間にか反古に。覚えた成功体験はやめられないのでしょう。阪神・淡路大震災後、復興の名の下に神戸空港を建設しましたが、開港して6年経っても厳しい運営が続いています。
この神戸市を倣ったのか、海に面した大都市には同じ手法を採ろうとした埋立地があります。東京の臨海副都心、大阪市の夢洲、福岡市のアイランドシティ…。しかし、今や開発にせよ売却にせよ如何ともし難いことは明白。オリンピックだ、空港だ、市場や病院の移転だ、と行政が煽っているのは、この土地の始末をどうにかしたいだけなのでしょう。先に挙げたそのどれもが“厄介者”になってしまったのです。泉下の宮崎さんは現状をどのように見ているのでしょうか。
(参考資料:「需要回復も収入伸びず 神戸空港開港6年、模索続く」神戸新聞2012年2月16日付)