きょう2月24日は南国忌。…といってもピンと来ない方のほうが多いと思いますが、「直木賞」ならご存じでしょう。著作『南国太平記』から名がついた、直木三十五の忌日です。
直木三十五は1891年大阪生まれ。本名植村の「植」を分解して「直木」とし、31歳のときに「直木三十一」を筆名として文筆活動を始めたことは有名です。その後年齢とともに数が増えましたが、「三十三で留めておいたが、三三と重なるのは姓名判断上極悪であるという。なるほど余り貧乏が長過ぎる。(中略)一躍四を抜いて三十五になる所以である」と自身で記しています。1930年から大阪毎日・東京日日両新聞に連載した『南国太平記』で一躍人気作家となりました。
しかし計算のない直木の人生は無頼そのものでした。借金や病気を抱えながら執筆を続け、なかでも雑誌『文藝春秋』には署名原稿はもちろん、匿名ゴシップ記事のライターや新企画の提案まで行っていたといいます。1934年の直木の死は、文春社長の菊池寛を痛切に悲しませ、その葬儀を社葬として執り行いました。その翌年から芥川龍之介賞とともに直木三十五賞が制定されたのです。第1回直木賞は川口松太郎が『鶴八鶴次郎』『風流深川唄』ほかで受賞しました。
『南国太平記』は薩摩藩のお由羅騒動に材を採ったものですが、歴史小説以外にも現代ものや、大衆文芸を中心とした文芸評論や随筆も。こうした執筆のほか、出版会社の設立、雑誌編集、映画製作にまで手を広げました。破天荒な人生を歩んだ直木は、現在ならマルチクリエーターと言えるでしょうか。その名を受けた直木賞の受賞者には錚々たる顔ぶれがずらり。先日の第146回には葉室麟さんが、理不尽を強いられた武士を描いた『蜩ノ記』で受賞しています。
(参考資料:直木三十五記念館ホームページ、『文藝春秋七十年史』文藝春秋)