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日めくり編集メモ 253

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歌舞伎役者の中村雀右衛門さんが23日、91歳で亡くなりました。人間国宝となり、女形の最高峰を極めたと言われましたが、その生涯は波乱に富んだものでした。葬儀は明日29日、執り行われます。

雀右衛門さんは6代目大谷友右衛門の長男として生まれました。1927年に大谷広太郎を名乗り、初舞台。名子役として人気を博し、「天下太郎」というシリーズの舞台もあったほどでした。しかし歌舞伎役者としても最も修業しなくてはならない時期に召集されました。各地を転戦、スマトラ島で終戦を迎え、復員したときには、父は鳥取地震のために亡くなっていました。

その後7代目松本幸四郎に師事し、立役から女形に転向。これはあまりにも遅いスタートでした。1948年に7代目友右衛門を襲名。一時期は映画俳優として活躍しました。復帰後は関西歌舞伎の大立者、市川壽海の相手役を演じて実力を蓄えます。1964年に4代目雀右衛門を襲名しますが、これは、仲の良かった3代目の子息が戦死し、その遺族からの願いでもありました。

7代目尾上梅幸、6代目中村歌右衛門に続く世代の女形として、確固たる地位を築いた雀右衛門さんですが、皆が口を揃えるのがその若々しさ。「十種香」の八重垣姫、「鎌倉三代記」の時姫、「金閣寺」の雪姫という、気力体力ともに必要な「三姫」を80歳を超えてからも演じました。また、中村富十郎さんとの舞踊「二人椀久」の格調高さも忘れることが出来ません。
(参考資料:中村雀右衛門『私事―死んだつもりで生きている』岩波書店)

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