本格的に活躍したのはわずか2年。しかし現在でも熱烈な支持を受ける伝説的SF作家、広瀬正。きょう3月9日は広瀬が亡くなってちょうど40年です。
広瀬は1924年、東京・京橋に生まれました。幼少時から音楽が得意で、小学生の頃には宮田東峰ハーモニカ・バンドに参加、日大工学部在学中にも吹奏楽部でテナーサックスを吹いていました。戦後、進駐軍相手のクラブで活躍し、1952年には自身のバンド「広瀬正とスカイトーンズ・オーケストラ」を結成しましたが、8年後に借金のため解散してしまいます。その後は編曲とともに精巧なクラシックカーモデル製作(モデラー)の仕事をしていました。
作家としては1961年、「宝石」臨時増刊号の『殺そうとした』でデビュー。同年SF同人誌の「宇宙塵」に参加、SF作家との交流が始まります。また草創期のアニメ作品『宇宙エース』などの脚本も。1963年に『マイナス・ゼロ』の構想・執筆に着手しましたが、出版には至りませんでした。この頃広瀬はコラムを手がける企画集団に参加しており、そこで知り合った編集者と意気投合、宙に浮いていた同作品が出版され、直木賞候補にもなりました。
以降は大忙しとなり、『ツィス』『エロス』も直木賞候補になりました。広瀬は「時に憑かれた作家」と言われるほど時間SFの第一人者。その構成の緻密さと伏線の回収は実に巧みで、『マイナス・ゼロ』は2006年の国内SFオールタイムベスト投票第4位に入っています。1972年3月9日、路上で心臓発作を起こし、47歳の若さで急逝。作家仲間が棺に貼った紙には「タイムマシン搭乗者」とありましたが、果たしてどの時代へ旅立ったのでしょうか。
(参考資料:「あなたは広瀬正を知っていますか?」「小説すばる」2009年1月号)