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日めくり編集メモ 262

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加藤茶さん結婚のニュースで、ザ・ドリフターズの他のメンバー3人の元気な様子がテレビに映されましたが、リーダーがいないことに気付くと少し寂しくなります。リーダー・いかりや長介さんは8年前の3月20日に亡くなりました。

いかりやさんは1931年、東京生まれ。叔父の洋品店を手伝う傍ら音楽に熱中し、アマチュアのハワイアンバンドのベース奏者に。この時期のバンドマンは米軍キャンプ巡りをするのが定番でしたが、いかりやさんもご多聞に洩れません。その後、ウエスタンの「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」を経て1962年、加藤茶さんらと「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」の結成に加わります。いかりやさんと衝突したメンバーが脱退し、仲本工事さん、高木ブーさん、荒井注さんを加え、1964年、コミックバンド「ザ・ドリフターズ」を再編成したのです。

再編成当初は下積みの苦労を味わいましたが、1966年のビートルズ来日公演の前座を務めた頃から人気が出始め、その翌年、松竹映画『なにはなくとも全員集合!!』にグループで初主演。さらに現在でも語り継がれるTBSのお化け番組『8時だヨ!全員集合』が始まったのは1969年でした。大人気のドタバタコントの陰には、出演者・スタッフの想像を絶する苦労があり、その企画会議は、いかりやさんのOKが出るまで実に重苦しいものであったそうです。平均27.3%、最高50.5%の視聴率を誇りましたが、1985年9月、惜しまれつつ終了しました。

『8時だヨ!全員集合』終了後、メンバーは各自の活動となり、いかりやさんもそれまでも行ってきた俳優活動がメーンとなります。黒澤明監督『夢』の第7エピソード「鬼哭」や山田洋次監督『息子』といった映画に出演し、バイプレイヤーとしての地位を確立。最晩年には『踊る大捜査線』シリーズの和久刑事役が好評を博しました。がんのため72歳で死去。通夜の際、ファンが持ち込んだ録音テープからいかりやさんの掛け声「8時だヨ!」が流れると、皆「全員集合!」と応じたそうです。弔辞は40年以上のつきあいのある加藤さんが涙をこらえて読み上げました。

(参考資料:『日本映画人名事典男優編〈上巻〉』キネマ旬報社、『完璧版テレビバラエティ大笑辞典』白夜書房)

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