リーグ戦3連勝と好調な、今年J1に復帰したFC東京。得点シーンでサポーターが合唱する『東京ブギウギ』が名物です。きょう3月30日はこのオリジナルを歌った笠置シヅ子さんの命日です。
笠置さんは1914年香川県生まれですが、生後まもなく大阪・福島区の米穀商に養女に出されました。尋常小学校卒業後、のちにOSK日本歌劇団として知られるようになる大阪松竹楽劇部生徒養成所に入所。芸名を三笠静子として「日本八景おどり」でデビューしました。1935年、大正天皇第4子・澄宮が三笠宮となったため「笠置シズ子」に改名し、その3年後に帝国劇場で旗揚げした松竹楽劇団に参加して、新進のジャズ歌手として売り出しました。
しかしその派手なアクションが官憲の忌避するところとなり、丸の内の劇場への出入りを禁止されてしまいます。1941年に松竹楽劇団が解散すると「笠置シズ子とその楽団」を結成、さらに映画にも出演し、映画女優としても確固たる地位を占めるようになります。とはいえ戦中は慰問などに活動の場は限られました。彼女が輝くような活躍を見せるのは戦後になってから。再開場した日劇最初のショーから出演し、1947年『東京ブギウギ』が大ヒットするのです。
この歌は、まさに敗戦直後の荒廃した人々の心に解放感をもたらしました。その後彼女は「ブギの女王」と呼ばれ、『ジャングルブギ』『ホームランブギ』『買物ブギ』などを連発しますが、ブームが下火になり、1955年頃に歌手を廃業、名の表記を笠置シヅ子と改めます。TBS「家族そろって歌合戦」の審査員も忘れられません。1985年、死去。しかし笠置さんのブギの名曲は、冒頭のFC東京の応援歌や、後世の歌手にカバーされるなど、今でも輝きを失いません。
(参考資料:『日本映画人名事典 女優編〈上巻〉』キネマ旬報社)