評論家・作家の吉武輝子さんが17日、80歳で亡くなりました。女性の地位向上、反戦などの行動に積極的に携わったことで知られます。
吉武さんは1931年、兵庫県芦屋市生まれ。慶大仏文科を卒業後、東映に入社し、日本初の女性宣伝プロデューサーとして活躍しました。1966年に同社を退社、文筆活動に。著書は『女人 吉屋信子』『置き去り サハリン残留日本女性たちの六十年』『炎の画家 三岸節子』など多数あります。2010年、戦後すぐに米兵にレイプされたことを雑誌で発表しましたが、衝撃的な内容でした。
すべてが自分の落ち度と思い込み、2度の自殺未遂。大学時代、演劇仲間の宮子勝治さんにそのつらい体験を告白すると、宮子さんはこう言いました。「てこちゃん、人間てね、何があったかではなく、それから先どう生きるかじゃないのかな」。もっと早く誰かがそう言ってくれたら別の生き方があったのに、と思った吉武さんは涙があふれたそうです。これがきっかけで2人は学生結婚します。
長女は看護士・エッセイストの宮子あずささん。近年は膠原病や大腸がんなど、多くの病気と闘いながら入院生活を続けていました。その傍ら、2005年発足の「女性『九条の会』」や東日本大震災後に立ち上げられたネットワーク「脱原発をめざす女たちの会」などにも参画。その原点には、女性であるがゆえ、弱い立場にあるがゆえの不利益を許さぬ怒りと悲しみがあったのでしょう。
(参考資料:文藝春秋SPECIAL2010季刊春号「結婚という旅」)