今年は沖縄復帰40年。NHKでは、復帰日の5月15日の前後に沖縄をめぐるいろいろな番組の放送を予定しています。では、復帰前の沖縄の放送事情はどうなっていたのでしょう。
日本放送協会沖縄放送局は1942年開局しましたが、沖縄戦で破壊され機能停止、閉鎖。米軍占領後は軍による放送や米軍政府直営の「琉球の声」もありましたが、1954年に沖縄初の民間放送局、琉球放送(RBC)が開局しました。これは先述の「琉球の声」の設備を借りての開局でしたが、その後沖縄テレビ放送(OTV)が1959年に、RBCも翌1960年にテレビ放送を開始。この同年、ラジオ沖縄(ROK)も開局して、一般放送局としてはテレビ2波、ラジオ2波の時代が長く続いたのです。
1964年、日琉間マイクロ波回線正式開通。これによってNHKは沖縄の放送局に番組提供を始めますが、沖縄は民間局ですから、年末恒例の紅白歌合戦でもCMつきで放送していました。当時の担当者曰く「CMを入れるタイミングが難しかった」。こうした動きと平行して復帰後を睨み、日本政府は放送環境の遅れていた宮古・八重山の先島地域から整備を始め、琉球政府による放送法により沖縄放送協会(OHK)が誕生後設備を譲渡、先島から本島へという順序で運用が開始されました。
先述の通り日本本土と沖縄本島を結ぶ回線はありましたが、先島での放送は、空輸されたNHK番組の再生が中心。ニュースもラジオ第一放送を受信して、ブルーバックのテロップ画像を付けて放送していました。台風などで荒天になると再放送で埋め合わせていたそうです。この離島苦を解消する、本島と先島を結ぶ海底ケーブル開通は1976年まで待たなくてはなりませんでした。1972年5月15日、本土復帰。OHKはNHK沖縄放送局に改組、27年ぶりに沖縄放送局の名前が復活しました。
(参考資料:ラジオ沖縄編『ラ・ラ・ラ、ラジオ沖縄』ボーダーインク、Radiofly wiki「沖縄放送協会」の項)