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日めくり編集メモ 287

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あす5月21日は、昭和を代表する喜劇役者・藤山寛美さんの23回忌。「アホを演じさせたら日本一」と言われた寛美さんの芝居は、娘である藤山直美さんが見事に受け継いでいます。

寛美さんは1929年6月15日、関西新派の二枚目役者である藤山秋美の子として生まれました。父が病没し、4歳で初舞台。13歳で2代目渋谷天外に誘われ、松竹新喜劇の前身の一つである松竹家庭劇へ入り、曾我廼家十吾の付き人になりました。終戦は慰問で訪れていた満州(現・中国東北部)で迎え、帰国後、十吾、天外、浪花千栄子らとともに松竹新喜劇の結成に参加。1951年、大変な好評を博した芝居「桂春団治」の丁稚を演じたことで一躍注目されました。

1959年 に始まった読売テレビ「天外の親バカ子バカ」の息子・貫一役で人気爆発。独特の演技については自身で「チャプリンとヒトラーのイメージをダブらせ、舞台で 会得した間のズレを生かしたアホ役を考えた」「あれは十吾さんのマネや」と語っています。丁稚も貫一も、ともにアホ役。これで寛美さんのイメージは固まり ました。天才的な役者ではありましたが、並外れた金銭感覚で借金地獄に。暴力団との交際も発覚し、1966年、新喜劇を除名になってしまいます。

寛美さんのいない新喜劇はまったく振るわず、すぐに復帰。実質的なリーダーになった寛美さんは大車輪の働きをして、1987年2月まで244カ 月連続出演という記録を打ち立てました。その一方、多くの俳優が去っていった劇団内部の不和や、後継者をついに育てられなかったという残念な点もありま す。しかし、娘の直美さんが、まさに父の芸を継承して舞台、テレビ、映画で活躍していることはご承知の通り。天の寛美さんも娘の芝居を見て、目を細めてい ることでしょう。

(参考資料:読売新聞大阪本社文化部編『上方放送お笑い史』読売新聞社)

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