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日めくり編集メモ 304

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53年前の1959年6月30日、アメリカ占領下の沖縄・石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落、児童など200名以上が死傷し、小学校、公民館、住宅などが多数全半壊する大惨事が発生しました。

嘉手納基地から飛び立った米軍機がエンジントラブルを起こし、パイロットは脱出。米軍機は無人となり、そのまま宮森小学校に突っ込んだのです。児童11人を含む17人が死亡し、212人が重傷を負いました。折悪しくちょうど2時間目後のミルク給食の時間だったため、ほぼ全児童が校舎内にいたのです。その現場は凄惨を極め、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だったと言われます。

 

終戦後14年、まだ沖縄戦の記憶も拭いきれぬどころか、「銃剣とブルドーザー」で土地接収をしている米軍に対しての感情はさらに悪化し、各地で激しい抗議行動が行われました。遺族の悲しみと怒りは深く、この惨事を風化させまいと「命と平和の語り部『石川・宮森630会』」が組織され、事故の常設資料展示施設「石川・宮森630館」の建設に向けて募金活動を続けています。

 

また舞台『フクギの雫』の上演や、映画『ひまわり』の製作など、この事故はいろいろな形で語り継がれています。しかしそれから半世紀以上、未だに米軍が沖縄に駐留し、騒音や米兵の犯罪など基地にまつわる問題は何一つ解決してはいません。命を奪われた17人の心の叫びが私たちに突き刺さります。「忘れたい、忘れてほしくない、忘れてはいけない、私たちは死にたくなかった」

(参考資料:沖縄タイムス1959年7月1日付、命と平和の語り部「石川・宮森630会」ホームページ

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