今日7月10日はつかこうへいさんの3回忌。まさに鬼才というべき、1970年代以降の演劇界を代表する劇作家でした。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館では、企画展示「現代演劇シリーズ第39弾 つかこうへいの70年代展」が8月5日まで開かれています。
つかさんは1948年、福岡県筑豊に在日韓国人2世として生まれました。慶応義塾大学在学中に早稲田大学の劇団「暫」に参加して戯曲を発表、人気を博します。中でも『熱海殺人事件』は1973年に岸田戯曲賞を当時最年少で受賞し、その後も繰り返し上演される作品に。その翌年劇団「つかこうへい事務所」を結成、紀伊國屋ホールを拠点に「つかブーム」を巻き起こします。1982年には小説『蒲田行進曲』で戦後生まれとして初めて直木賞を受賞しました。
その後もヒット舞台の戯曲や映画脚本を連発。独特の「口立て」と呼ばれる演出法があり、稽古期間はもちろん初日の幕が開いても千秋楽までその舞台はどんどん変化するというスタッフにとって苛酷なもの。その厳しい指導の下、数多くの俳優が育っていきました。初期に限っただけでも三浦洋一、平田満、風間杜夫、加藤健一、根岸季衣、かとうかず子ら。晩年には、東京都北区や大分市で自身の劇団を主宰して、後進の育成と裾野の拡大に努めました。
1982年からは小説執筆に専念しますが、1985年、韓国・ソウルでの『熱海殺人事件』上演をきっかけに、1989年に演劇活動を再開。翌年の著書『娘に語る祖国』で在日韓国人であることを明かし、その思いを綴りました。戦争や差別に反対するメッセージも発信し続けたつかさん。亡くなったときはちょうど、娘の宝塚歌劇娘役トップ・愛原実花さんの退団公演の最中。遺書でつかさんは、「日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨」を希望していたということです。
(参考資料:「つかこうへいさん、元日に遺書書いていた」朝日新聞2010年7月13日付、ピックアップキーワード「知ってるかなぁ? 「口立て」と、つかこうへいさん」NHKモバイル週刊ニュース2010年7月17日)