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日めくり編集メモ 315

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絶叫歌人としても有名な福島泰樹さんが住職を務める東京・下谷の法昌寺の境内に、小さなお地蔵様があります。この地蔵となったのはコメディアンのたこ八郎さん。1985年7月24日、44歳の若さで突如この世を去りました。
たこさんは本名斎藤清作。1940年、仙台市内の農家に生まれました。仙台育英高校時代にボクシング部に入部。幼少のころ患って左目に障害がありましたが、視力表を暗記してプロテストに合格したそうです。プロボクサーとなってからは、河童のような髪型で「河童の清作」というニックネームで呼ばれました。ノーガードで散々打たせ、相手が打ち疲れたところで反撃する「肉を斬らせて骨を断つ」戦法で、漫画『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈のモデルとも言われています。
 
1962年、第13代日本フライ級チャンピオンに。ただ、彼の思いは以前から興味のあった芸能界、特にコメディにあったのです。喜劇役者の由利徹さんに弟子入りを願い出ますが、断るつもりの「長くチャンピオンを続ければ入門を許可する」という言葉を真に受け、その後2度防衛。しかし「肉を斬らせて骨を断つ」戦法のせいでしょうか、パンチドランカーになってしまいました。1964年、引退。戦績は34勝(11KO)8敗1分。晴れて由利さんの弟子となり「たこ八郎」の名前をもらいました。
 
たこさんにはパンチドランクの症状として、尿失禁、記憶障害、言語障害などが出てしまいましたが、一度も病院にかかることなくそれらの後遺症を克服。その頃の語り口を独特の「たこ節」として人気コメディアンになったのです。そんな人気絶頂のさ中、海水浴場で酒を飲んで海に入り、心臓麻痺で死んでしまったのには皆驚きました。師匠の由利さんや漫画家の赤塚不二夫さんらがたこさんを偲んで建てた「たこ地蔵」には、座右の銘「迷惑かけてありがとう」が刻んであります。
(参考資料:笹倉明『昭和のチャンプ』集英社文庫)

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