きょう7月31日は、TBSテレビ『テレポート6』や『JNN報道特集』で活躍したキャスター料治直矢さんの15回目の命日です。「怖い顔のキャスター」として親しまれました。
料治さんは1935年、古美術研究家の料治熊太の子として生まれました。東京大学卒業後、ラジオ東京(後のTBS)にアナウンサーとして入社。巨人戦の実況の際に、ベンチに長嶋茂雄選手がいるにもかかわらず「バッターは長嶋」とアナウンスしてしまい、以来スポーツ実況をやらなくなったといいます。1966年に記者となり、警視庁記者クラブキャップなどを経て1975年からの『テレポート6』のニュース担当キャスターとして抜擢されました。
1980年スタートの『報道特集』ではキャスターリポーターを務め、取材に訪れた暴力団の玄関先で殴打されたシーンをそのまま放送し、反響を巻き起こしました。また、尖閣諸島取材中のケガが元で小指を切断するなど、まさに風貌の通りの、体を張った取材者でした。一方、カメラに映るところだけ体裁を整えればいいとばかりに、下半身は短パンにゴム草履でニュースを読むなど、茶目っ気にも溢れていました。飾らない人柄は皆に愛されたのです。
『報道特集』の裏番組『日曜夕刊!こちらデスク』のキャスターは筑紫哲也さんでした。『報道特集』の人気のあおりで終了してしまいますが、最終回、筑紫さんと料治さんは両番組の同時放送を行いました。ライバルとしてのエール交換だったのでしょう。1997年、料治さんが亡くなった際、筑紫さんは彼のことを「テレビ局のなかに生存できたということが奇跡のような気がします。どう見ても料治さんは『武骨の人』だったと思います」と評しています。
(参考資料:瀧井宏臣『武骨の人 料治直矢』講談社、多事争論8月18日(月)「武骨の人」TBSテレビ「NEWS23」ホームページ)