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オスプレイ配備と「ピースリーディング」

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 先日、「非戦を選ぶ演劇人の会」による「ピースリーディング『私(わん)の村から戦争が始まる沖縄やんばる・高江の人々が守ろうとするもの〜』」を見てきました。

 毎年、平和をテーマにしたピースリーディングの上演を続けている「非戦を選ぶ演劇人の会」。今回の舞台となったのは、米軍ヘリパッド施設の建設計画に揺れる沖縄本島北部・高江でした。

 メインの筋書きは「本土」からやってきた2人の女性が、建設反対・阻止の座り込みにも参加しながら、地元の人たちからさまざまな話を聞いていく…というもの。豊かな自然に恵まれた高江に、ある日突然やってきたヘリパッド建設計画。同じ沖縄の人たち同士が、それをめぐって対立させられる構造。国が住民を「訴える」という「スラップ訴訟」の異常さ。さらに、高江を出て辺野古や宜野湾を訪れた2人は、辺野古での基地建設反対運動や沖縄国際大学ヘリ墜落事件、宮森小学校米軍機墜落事件、そしてかつての沖縄戦についても、それぞれの体験者の声に耳を傾けることになります。

 わたしにとって一番衝撃だったのは、ベトナム戦争中、高江にある米軍基地の北部演習場では、地元の住民たちが駆り出され、対ゲリラ戦訓練における「敵(ベトナム人)」役を演じさせられていたという話。米兵たちは、「ベトコン」に見立てた住民たち(中には幼い子どももいたとか)に、銃口を向けることさえしばしば。訓練とはいえ逃げまどう中で、けがをする住民もあとを絶たなかったといいます(未見ですが、この問題については昨年に琉球朝日放送が検証番組 を放送しています)。
 
 そして、子どもたちと周辺住民あわせて17名もが犠牲になった(ちなみに米軍パイロットはパラシュートで無事に脱出しています)という、1959年の宮森小学校の事故。「火だるまになって走り出てきた子どもを抱きとめたら、手に触れた背中の皮膚がずるりと剥けた…」という、当時同校に勤務していた教員の証言。「子どもたちの親は、沖縄戦を体験した世代。やっと戦争を生きのびてもうけた新しい命が、こんなことで犠牲になって、どれだけ悔しかったことか」との言葉も、胸に突き刺さりました。
 
 会場のあちこちから聞こえてくる、鼻をすすり上げる声。舞台上の役者さんにも、目元を赤くしている人が何人もいる。普通に考えればあり得ない、許されるはずのないことが、そうして見過ごされ、まかり通ってきたという事実…。
 それも、どちらも占領統治下でのことであって、今とは違う、と言い切れるならまだ救われる。でも、「日本復帰」が成っても、そこからさらに40年以上を経ても、いまだ状況は何も変わっていないんじゃないんだろうか。
 鑑賞後、そんなことを考えながら、昼食を取りに入った店でツイッターをチェックしたら、そこにはまさに高江からの「防衛局の工事車両が来た!」という、悲鳴のような声が並んでいました。抗議する住民たちの頭越しに、クレーン車が砂利袋を吊り上げ、ヘリパッドの建設予定地を取り囲むフェンス内に投入しているという。
 本当に本当に何ひとつ、状況は変わっていないんじゃないだろうか。頭を殴られたような衝撃とともに、改めてそう思わざるを得ませんでした。
 
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 いま、米軍輸送機・オスプレイの普天間基地への配備をめぐって、急速に反対の声が高まっています。
 その危険性、騒音などの住環境への影響を思えば当然だ、と思います(高江の「ヘリパッド」も、オスプレイが離着陸する「オスプレイパッド」となることが確実視されています)。ただ一方で、問題は「オスプレイ」ではないのだ、とも思う。終戦からの70年近く、そして「復帰」からの40年の間に、沖縄で起こってきたこと、見過ごされてきたこと。その歪みの積み重ねの上に、この「オスプレイ配備」があるのだ、と思うのです。
 来月5日には、沖縄・宜野湾市で「オスプレイの県内配備に反対する反対集会」が予定されています。東京でも、これに呼応しての集会とデモが実施されるとのこと。原発と同じように、これもまた、「私たちの」問題です。(n)
 
 

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