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日めくり編集メモ 345

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10月3日の新聞に、女優馬渕晴子さんの死亡を悼む記事の隣に小さく、元朝日新聞論説主幹・岸田純之助氏の訃報が載っていました。朝日新聞の社論を原発推進に導いた人物です。

岸田氏は1920年鳥取県生まれ。東京帝大卒業後、海軍で航空機設計に携わりました。1946年朝日新聞社入社。「科学朝日」編集部員、論説委員をへて1977年から約6年間論説主幹を務めました。退社後は日本総合研究所会長や科学記者らでつくる日本科学技術ジャーナリスト会議会長などを歴任していますが、日本原子力文化振興財団監事という肩書が、原子力ムラでの彼の立場を物語っています


1977、朝日新聞社調査研究室が『原子力発電の手引』という冊子をまとめました。この中で岸田氏は調査研究室長・論説委員として、社論を「イエス、バッド…」、即ち「原発は進めるべきだが、所要の条件を整えるべきだ」という方向付けをしていますこの2年後に起きた米スリーマイル島原発事故を受けて、朝日社内で研修会が開かれましたが、原発推進という変わらぬ社論を記者に徹底させるものでした。


いくら「バッド」と言ったところで、基本的に原子力の存在と政府のエネルギー政策を追認しているわけで、これが大新聞の社論となった影響は絶大。東電福島第一原発事故まで、原発はどんどん増設される一方だったのはご承知の通りです。福島の事故を、岸田氏はどう見ていたのでしょう。そして、何を感じたのでしょう。原発推進の報道責任が追及されないまま、ほとんど何も語らずこの世を去ってしまいました。

(参考資料:『朝日新聞社史 昭和戦後編』朝日新聞社)

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