数々の秀歌をのこした歌人・齋藤茂吉の生涯を、息子である作家・北杜夫の目を通して展望する「齋藤茂吉と『楡家の人びと』展」が、10月6日から東京の世田谷文学館で始まりました(12月2日まで)。
茂吉は1882年、守谷家の三男として、山形県金瓶(かなかめ)村(現上山市金瓶)に生まれました。上京して同郷の医師、斎藤紀一の家の養子となり、紀一の娘・輝子と結婚して婿養子に。この間、医学を学びながらも作歌の意欲は増すばかりで、伊藤左千夫に入門して「アララギ」の中心的歌人になります。1913年に発表した歌集『赤光』は大きな反響を呼び、その後は医学と短歌の“二足のわらじ”の人生に。養父が設立した病院の再建、妻との不和、戦争協力への批判、文化勲章受章など激動の生涯を送り、1953年、70歳でこの世を去りました。
北杜夫は1927年、その茂吉の次男として生まれました。旧制松本高校時代に文学に目覚めたことは『どくとるマンボウ青春記』などで有名ですが、父の短歌の素晴らしさに触れて、文学者として父を尊敬するようになりました。その父の命で東北大学医学部に進み、精神科医となりながらやはり文学への思い断ち難く同人雑誌に参加。1960年、『夜と霧の隅で』で芥川賞を受賞し、同年出版された『どくとるマンボウ航海記』とともに一躍人気作家になりました。1964年に出版された『楡家の人びと』は、齋藤家をモデルにした自伝的大河小説です。
また、北杜夫が著した茂吉の評伝4部作は、綿密さとともに父への敬愛の念溢れる好著で、1998年度の大佛次郎賞を受賞しています。生誕130年を記念した今回の展覧会は、「かがやけるひとすぢの道遙けくてかうかうと風は吹きゆきにけり」(『あらたま』より)と詠ったように、時代に翻弄されながら、短歌や文学と格闘した茂吉の「ひとすぢの道」を辿っていきます。北さんはこの展覧会をたいへん楽しみにしていたそうですが、残念ながら昨年10月に亡くなりました。文学館では追悼の意をこめ、作家・北杜夫の足跡も併せて紹介するということです。
(参考資料:北杜夫『青年茂吉』『壮年茂吉』『茂吉彷徨』『茂吉晩年』岩波書店)