映画界の風雲児、若松孝二監督が17日、突然亡くなりました。12日にタクシーにはねられ重傷を負ったものの命に別条はないと伝えられていましたが、実は事故直後から意識がなかったということです。
若松監督は1936年宮城県生まれ。さまざまな職を経て、テレビドラマの助監督に。1963年に成人向け作品「甘い罠」で監督としてデビューし、ヒットを量産、“ピンク映画の黒澤明”と呼ばれました。2年後、若松プロダクションを設立し、集まったのは足立正生さん、山本晋也さん、大和屋竺さんらの才能。ピンク映画の中に社会問題などの要素を入れる手法は若松監督ならではのものでした。
大島渚監督『愛のコリーダ』や山下耕作監督『戒厳令の夜』などプロデューサーを務める一方、1980年代からは一般映画に進出し、『水のないプール』『キスより簡単』など話題作を手がけました。2002年の肺がん摘出手術ののちは、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が2008年ベルリン国際映画祭最優秀アジア映画賞を受賞するなど、国内外からの高い評価が定着していました。
2010年の『キャタピラー』では、主演の寺島しのぶさんが同映画祭で最優秀女優賞を受賞。銀熊のトロフィーを感慨深げに握り締める若松監督の姿が思い出されます。今年のベネチア国際映画祭に『千年の愉悦』を出品、その際「どうしてもやりたいのは東電の話。誰もやろうとしないから本気になってケンカしてやろうと思っています」と語っていたのに、不慮の事故で旅立ってしまうとは…。
(参考資料:『日本映画人名事典 監督編』キネマ旬報社、「追悼 若松孝二監督」シネマトゥデイ、映画監督若松孝二公式サイト)