懐かしの深夜番組「11PM」の司会を務め、ダンディな白髪、深く味わいのある声で親しまれた作家の藤本義一さんが先月30日、79歳で亡くなりました。
藤本さんは1933年、堺生まれ。少年航空兵を目指していましたがそのまま敗戦。大阪府立浪速大学(現大阪府立大学)在学中からラジオドラマや舞台の脚本を書き始め、ラジオドラマ「つばくろの歌」で1957年度の芸術祭文部大臣賞戯曲部門を受賞するなど、早くから才能を発揮していました。この時の次点が井 上ひさしさんで、「東の井上、西の藤本」と称されるほどでした。
その後映画界へ転じ、川島雄三監督に師事。脚本、台本を書きまくり「ライティングマシン」と揶揄されるほどでした。30代からは腰を据えて小説に取り組み、1974年、上方落語家の半生を描いた『鬼の詩』で直木賞を受賞。関西芸能界のご意見番としても知られましたが、阪神・淡路大震災被災遺児のための福祉施設を運営するなど、目立たぬ社会活動にも心を注ぎました。
有名な大阪発「11PM」の司会は1965年から。東京発の司会が途中交代したのに対し、藤本さんは番組終了まで務め上げました。語り草は、広瀬隆さんが 「11PM」に生出演したときに、関西電力からクレームが入ったと震え上がる営業部門の社員に、藤本さんが「事実を言って何が悪い!」と一喝したこと。ソフトな外見とは裏腹に、実に一本筋を通す男っぽい人だったのです。