自らの特攻体験を基にした『出発は遂に訪れず』や、私小説の極北といわれた『死の棘』などの作品で知られる作家・島尾敏雄を偲ぶ「島尾忌」が11月12日、鹿児島県奄美市で行われました。
島尾は1917年横浜生まれ。九州帝大を繰り上げ卒業後海軍予備学生に志願し、1944年、第18震洋隊(特攻隊)の指揮官として奄美群島の加計呂麻島に赴きました。発動命令が下ったのは8月13日でしたが、発進命令がないままに敗戦。この島で出会ったミホと結婚、上京しますが、その後自身の浮気でミホの精神は変調を来しました。『死の棘』はこれを題材にしたものです。
1955年、ミホの病気療養のため家族とともに奄美大島に移住。執筆を続けながら、高校教師を経て鹿児島県立図書館奄美分館の初代分館長となります。この地に住んだことをきっかけに島尾は南島論を展開し、さらには日本列島を「島々の連なり」としてとらえる 「ヤポネシア」という独自の概念を提示したのです。先日の「島尾忌」は、この旧分館の文学碑の前で執り行われました。
解体されそうだった島尾一家が住んでいた旧官舎は保存運動が実を結び、NPO法人島尾敏雄顕彰会が奄美市から委託を受けて管理運営しています。旧官舎は当時の様子が再現され、今夏から一般公開されています。島尾がこの世を去って26年経ちますが、「新潮」11月号から梯久美子さんによる評伝「島尾ミホ伝 『死の棘』の謎」が始まるなど、注目度は未だに高いようです。