元ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会長の曽我野一美さんが23日、亡くなりました。人間の尊厳を問うて国との和解を実現させ、患者の人権回復に尽くした85年の人生でした。
曽我野さんは高知県出身。18歳のとき鹿児島の特攻隊に所属していましたが、自分が出撃する直前にハンセン病を発病し、1947年に香川県の国立療養所大島青松園に入所しました。1951年に発足した全国ハンセン病患者協議会(全患協、現全国ハンセン病療養所入所者協議会)の運動にかかわり、従来の隔離政策を踏襲するらい予防法(新法)案の改正を強く求めました。
国会前での長期座り込みなどの運動を展開したものの、1953年にらい予防法(新法)は成立。 差別は法的に温存されてしまいましたが、その後も粘り強く運動は続きます。1983年から8年間務めた全国ハンセン病療養所入所者協議会長時代に、全国の療養所を巡って、この法律の廃止へ向けた要望書を取りまとめ、旧厚生省に提出。これを受け1996年に同法は廃止されました。
これで肩の荷が下りたと思った曽我野さんでしたが、国による強制隔離を違憲と主張した国家賠償訴訟での国の答弁書などを見て驚きます。強制収容や強制労働を否定する内容だったのです。原告団代表に就任して裁判を闘い、2001年に熊本地裁でらい予防法を違憲とし、立法不作為の責任も認める歴史的な勝ち取ります。国の隔離政策が始まって95年目の完全勝訴でした。
(参考資料:シリーズ追跡「ハンセン病95年目の勝訴」四国新聞2001年5月21日付、沢知恵オフィシャルサイト:知恵のひとこと2012年11月24日(土))