きょう12月28日は、新潮社の「天皇」、あるいは「怪物」と呼ばれた齋藤十一の13回忌です。いわゆる「新潮ジャーナリズム」を形作った編集者でした。
齋藤は1914年北海道に生まれ、東京に育ちました。子供の頃は体が弱く、海軍兵学校を目指しましたが体格検査で落ちたことも。早稲田大学理工学部入学後、父に言われて「ひとのみち教団(現PL教団)」に入団し、ここで新潮社創業者である佐藤義亮の一族と親しくなります。齋藤はのちに3代目社長となる亮一の家庭教師になり、その伝で卒業後に新潮社に入社しました。
1945年11月、復刊した文芸誌『新潮』の編集者に。翌年同社取締役に就任し、またその後22年間『新潮』編集長を務めました。作家への苛烈な態度と、その的確な抜擢はいよいよ「齋藤神話」を高め、『芸術新潮』『週刊新潮』の創刊にも携わります。「新潮ジャーナリズム」は、後に『FOCUS』創刊時の「お前ら、人殺しの顔を見たくはないのか」という部下への発言に集約されるでしょう。
齋藤自身は文学や音楽を愛する教養人でしたが、その冷笑ぶりがなぜ身に着いたのかは諸説あるようです。ただ、「建前」が強い時代ならともかく、現在のように「本音」が幅を利かせる中「人間は所詮色と欲」とするシニシズムが展開されても食傷気味。世の中を斜に見てこそ見えてくるものもあるでしょうが、その風潮が跋扈した結果が現状だと考えるとうそ寒いものを覚えます。
(参考資料:齋藤美和編『編集者齋藤十一』冬花社)