マガ9editor's room

マガ9編集部発の情報やスタッフが書いたコラムを随時お届けします。

日めくり編集メモ 383

| トラックバック(0)

今年は原発、沖縄、そして憲法についても、ある意味「正念場」を迎えることになりそうですが、新年から悲報が飛び込んできました。日本国憲法の草案作成に携わったベアテ・シロタ・ゴードンさんが12月30日、亡くなったのです。

ベアテさんは1923年、オーストリア生まれ。1929年、世界的ピアニストである父のレオ・シロタさんが東京音楽学校の教授に就任し、一家で来日しました。日本で10年間を過ごす間に傑出した語学力を身につけ、両親を日本に残して米ミルズ大に留学。ここで米国籍を取得しています。卒業後、米タイム誌のリサーチャー(データマン兼校正者)として働き、戦争終結後、日本語ができるということでGHQ付の通訳・翻訳官として再来日しました。

1946年から22歳の若さで憲法起草作業にとりかかりました。彼女が担当したのは社会保障と女性の権利で、各国の憲法を参考に、両性の平等を定めた24条などの人権にかかわる条項を起草。また、条文についての日本政府との折衝でも、堪能な日本語力を生かして通訳を務めました。若く有能なベアテさんは日米双方の意見交換の要だったのです。1947年に帰米しその後はジャパン・ソサエティーなどに勤務、日米交流を進めました。

彼女の生涯は、映画『ベアテの贈りもの』に詳しく描かれています。長女のニコルさんによると、ベアテさんの最期の言葉は「日本国憲法に盛り込まれた平和条項と、女性の権利を守ってほしい」という趣旨だったということです。自民党改憲案は、その2つを蔑ろにするどころか、憲法は国家権力を縛るものであるという「立憲主義」の考えからも遠く離れたもの。この動きを斥けるためにも、私たちはベアテさんの言葉を噛み締めなくてはなりません。

※ 新年のご挨拶を申し上げます。本年も小欄をよろしくお願いいたします。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://daily.magazine9.jp/mt/mt-tb.cgi/978