写真家の東松照明さんが昨年12月に亡くなっていたことが分かりました。東松さんは、長崎や沖縄など原爆被害や基地の歪みを抱えた地域を鮮烈なモノクロ写真に収めたことでも知られます。
東松さんは1930年、名古屋市生まれ。愛知大学卒業後に上京し、岩波写真文庫のスタッフになりますが、2年で退社しフリーの写真家に。1959年、川田喜久治、奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」を設立し、独自の映像表現方法を模索しました。「地方政治家」「吹きだまり」「占領」などの戦後史を鋭く見つめたテーマと、コントラストの強烈なモノクロ写真は、見る者の心を強く捉えました。
1961年に長崎、1969年に沖縄と出会い、原爆の悲惨さ、基地問題の複雑さに正面から向き合う『〈11時02分〉NAGASAKI』『OKINAWA 沖縄 OKINAWA 〜沖縄に基地があるのではなく基地の中に沖縄がある〜』などの作品を撮影。1969年の『おお!新宿』は60年代の新宿を撮影した貴重な資料です。1975年、『太陽の鉛筆』で芸術選奨文部大臣賞受賞。1998年に長崎、その後沖縄に拠点を移しました。
自分の表現を確立した東松さんは、写真家個人の私塾の集合体「写真学校WORKSHOP」を開校するなど、若い次世代の育成にも力を注ぎました。彼は次のように書いています。「写真家は、医師のように治療せず、学者のように分析もせず、神父のように支えない。落語家のように笑わせもせず、歌手のように酔わせない。ただひたすら見るだけ。見ることと選ぶことに終始するのが写真家である」
(参考資料:「時を削る 東松照明の60年」西日本新聞2010年7月5日付)