現代音楽というとっつきづらい世界の第一人者ですが、一方『ゴジラ』の映画音楽を作曲したことで親しまれている音楽家伊福部昭。今日2月8日は彼が亡くなって7年が経ちます。
伊福部は1914年、釧路に生まれました。幼少時からアイヌの音楽に触れ、北海道帝国大学農学部時代に学内の管弦楽部でコンサートマスターを務めるなど音楽体験は豊富ながら、いわゆる中央の楽壇との関係なくほぼ独学で作曲家となりました。1935年の大学卒業後は北海道庁地方林課の厚岸森林事務所に勤務しますが、その傍ら『日本狂詩曲』をアレクサンドル・チェレプニン賞に応募、見事受賞。チェレプニンの指導を受け、中央にも認められるようになります。
その後、技師として宮内省の林業試験場に勤めましたが、敗戦とともに失職。途方に暮れていたところ東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)の講師となり、芥川也寸志、黛敏郎など数多くの名作曲家を育てました。1947年『銀嶺の果て』(三船敏郎のデビュー作)から映画音楽を手がけるようになり、『ビルマの竪琴』『座頭市』などを数多くの作品を担当。また1954年の余りにも有名な『ゴジラ』以降は、特撮映画といえば伊福部昭といわれるほど親しまれました。
純音楽作家であり、映画音楽家であり、音楽教育者でもある伊福部昭。北海道生まれらしい、アイヌやギリヤークなど先住民族の音楽に影響された旋法や拍子を多用し、まさに日本の作曲界に独自の世界を築き上げました。北海道放送(HBC)ラジオで50年にわたって放送されたステーションソング『ウポポ』」は、彼の世界を垣間見ることのできる一端です。伊福部の信条は、「芸術はその民族の特殊性を通過して共通の人間性に到達しなくてはならない」というものでした。
(参考資料:木部与巴仁『伊福部昭 音楽家の誕生』新潮社)