50年前の2月28日、米軍統治下の沖縄で、信号を無視した米軍トラックが那覇市上山中学校1年生だった国場秀夫君を轢き殺す事件が起こりました。「国場君轢殺事件」と言われます。
この日の午後4時半、那覇市泉崎の1号線(現国道58号)で集団下校する中学生の列に、米軍の大型トラックが赤信号を無視して突っ込みました。青信号で横断歩道を渡っていた国場君には何も落ち度はありません。泣き叫ぶ生徒たちで騒然とする現場に駆けつけた担任の内原つる子先生の目に飛び込んできたのは、ガムを吐き、ゴミを投げる米兵の姿でした。
あまりにも酷いこの事件に、上山中の生徒会は那覇中と合同で抗議集会を開きました。ほかの中学校の生徒や那覇市長も駆けつけ、また教職員団体や政党も揃って抗議の声を上げました。しかし、5月1日の特別軍事裁判で、加害者のロナルド・ジャク ソン2等兵はなんと無罪になったのです。その理由は「夕日がまぶしかったので運転を誤った」というものでした。
先生方は何度も現場に足を運び、この時間に運転席に夕日が差し込んで信号が見えなくなることはないと確認しています。この裁判は傍聴もできず、判決文さえ明示されませんでした。そして現在、ここまで酷くはなくても、米兵の事件・事故が後を絶たぬままの沖縄には、日米地位協定の厚い壁も。国場君の死を無駄にしないために私たちは何をすべきでしょうか。
(参考資料:「友の死 無駄にせず 『国場君れき殺事件』から50年」琉球新報2013年2月28日付、「5・15 夢・現実そして未来へ 国場君れき殺事件をふり返る」琉球朝日放送報道制作部2012年2月28日)