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日めくり編集メモ 409

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すぐれた戯曲を顕彰する「岸田國士戯曲賞」に名前を残し、詩人の岸田衿子さん、女優の岸田今日子さんの父としても知られる劇作家・岸田國士。きょう3月5日は、岸田の60回忌です。

岸田は1890年、東京生まれ。岸田家は紀州藩士の家系で、父は陸軍軍人でした。1912年、陸軍士官学校卒業。同期には甘粕正彦がいます。軍務に就いていましたが文学への思いやみがたく、父の命に背いて28歳で東京帝国大学文科大学仏文選科に入学しました。ここで演劇に興味を持ち、自費で渡仏してソルボンヌ大で演劇研究の道に。 またビュー・コロンビエ座、ジョルジュ・ピトエフ一座にも出入りし、当時最先端だったパリの演劇シーンに接しました。

父の訃報を受けて4年間過ごしたフランスから帰国し、その翌年の1924年、処女戯曲『古い玩具』を発表。以来人気劇作家となり、『紙風船』『驟雨』『葉桜』『牛山ホテル』など生涯に発表した戯曲は60編を 越えます。明治大学文芸科教授を務めたほか、1937年、顧問を務めていた築地座を解消し、岩田豊雄・久保田万太郎らともに文学座を創設しました。演劇関係のほか、『暖流』など小説の執筆や『にんじん』ほかルナールの作品の翻訳も手がけています。

1940年、大政翼賛会文化部長に就任。文化の防波堤として活動しましたが、軍部の統制に抗しきれず2年後辞任。これによって戦後公職追放の憂き目に遭いました。解除後、文学座に復帰。1950年、「文学の立体化運動」を目指して福田恆存、三島由紀夫らとともに雲の会を結成するなど、演劇の理想を追い続けました。1954 年、文学座のゴーリキー作『どん底』の舞台稽古中に、演出として携わっていた岸田は脳卒中で倒れ、死去。演劇に捧げた人生でした。
 (参考資料:『日本近代文学大事典』講談社、「歴史が眠る多磨霊園」岸田國士

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