前回も少し触れましたが、沖縄民謡界の大御所で「誠小(セイグヮー)」と親しまれた登川誠仁さんが19日、80歳で亡くなりました。映画『ナビィの恋』の出演などでも知られる幅広い芸能活動でした。
登川さんは1932年兵庫県尼崎市生まれ。5歳のときに母方の故郷である美里村東恩納(現うるま市)に引っ越し、その頃から三線と民謡に親しみました。戦後は米軍基地でハウスボーイとして働く一方、「戦果アギヤー(闇物資の横流し)」となってひと財産築きましたが、博打に負けて全財産を失ってしまいます。何とこのとき16歳だったというのですから驚かされます。
16歳で、島袋光裕率いる沖縄芝居の「松劇団」の地謡に。ここでの師・板良敷朝賢の下で本格的に三線の修行を始めました。さらに組踊の泉川寛から三板を、同じく組踊の星潤から太鼓を習得。徐々に頭角を現し、地場のマルタカレコードから次々にレコードを発表しています。現在の民謡ショーの基礎を確立し、喜納昌永・津波恒徳とのトリオなどでも人気を博しました。
三線の名手、しかも速弾きが得意なことから「沖縄のジミヘン(ジミ・ヘンドリックス)」と呼ばれたことも。「豊節」などの作詞作曲や、三線の楽譜である工工四(クンクンシー)に声楽譜を加えた「民謡端節舞踊曲集工工四」などの編集、徳原清文さんや知名定男さんら多くの後輩を育てるなど、沖縄民謡界に果たした功績は数え切れません。体は小さくとも、まさに「巨人」でした。
(参考資料:小浜司「登川誠仁さんを悼む」琉球新報2013年3月22日付)