暮しの手帖社社主の大橋鎭子さんが3月23日に死去していたことが分かりました。故花森安治さんらとともに雑誌「暮しの手帖」を創刊し、戦後の人気雑誌に育て上げました。
大橋さんは1920年東京の下町、深川木場生まれ。東京府立第六高等女学校 (現東京都立三田高等学校)を卒業後、日本興業銀行に入行し、調査課に勤務しました。3年で退行し、日本女子大学に入学しますが1年で肺結核となり、中退。静養ののち、創刊されたばかりの日本読書新聞に入社。ここで編集の技術を習得しましたが、在社中に敗戦を迎えます。
日本読書新聞でカットの仕事をしていた花森安治と出会い、1946年、後の暮しの手帖社となる衣裳研究所を銀座で設立。雑誌「スタイルブック」を創刊し、1948年9月には花森編集長の元で「美しい暮しの手帖(22号より「暮しの手帖」)の創刊に参加しました。広告を載せず、厳格な商品テストを実施するなど、消費者の目線に立った雑誌の先駆けでした。
1969年からは同誌にエッセー『すてきなあなたに』を連載し、まとめたものが単行本にもなっています。1978年の花森さんの死去後編集長となり、2004年に横山泰子さんに社長を譲 り社主に。2010年には90歳にして初の自伝『「暮しの手帖」とわたし』を出版。パートナーでもあった花森さんと作り上げた「暮しの手帖」的生活美学を貫き通した生涯でした。
(参考資料:「商品テストの注意喚起は、いいものをつくってほしかったから 『「暮しの手帖」とわたし』を書いた大橋鎭子氏(暮しの手帖社社主)に聞く」東洋経済オンライン2010年7月23日)