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日めくり編集メモ 425

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「チャンチキおけさ」「船方さんよ」「大利根無情」、さらに歌謡浪曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」など数々の名曲を歌った大歌手、三波春夫の13回忌はきょう4月14日です。

三波春夫、本名北詰文司は1923年、新潟県生まれ。13歳で上京し米屋、製麺工場、築地魚河岸で働き、16歳で日本浪曲学校に入学。東京・六本木の寄席、新歌舞伎座で南條文若の芸名で初舞台を踏みました。20歳で応召して、満洲(現中国東北部)に渡りますが、ここで敗戦を迎え26歳までシベリアで抑留生活を送りました。ここでの強制労働の合間に、浪曲、演劇、歌を創り演じることで仲間を慰め、多くを学んだということです。

1949年にやっと帰国し、浪曲師として舞台に復帰しましたが、戦後の時代の流れの速さに歌手への転進を決意。1957年、33歳のときに芸名を三波春夫と改め、「チャンチキおけさ」「船方さんよ」のカップリング盤でデビューしました。どちらも大ヒットし、この年の浅草国際劇場での公演から和服の着流し姿が始まりました。翌年にはNHK紅白歌合戦に初出場。大劇場での1カ月にわたる座長公演もすぐに定着するようになりました。

1964年東京オリンピックでの「東京五輪音頭」、1970年大阪万国博での「世界の国からこんにちは」によって国民的歌手となる一方、1990年代にはハウスやヒップホップと融合した曲を発表するなど、進取に富んだ気性。また、芸能界きっての歴史通で、『聖徳太子憲法は生きている』『熱血!日本偉人伝』などの著作を発表し、戦後を励まし続けた1000以上の曲と、「お客様は神様です」の名言を残して2001年、あの世へ旅立ちました。
(参考資料:三波春夫オフィシャルサイト

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