怪優といわれた三國連太郎さんが14日、90歳で亡くなりました。語り尽くせぬほどの人生経験がにじみ出るような数々の名演技とともに、差別問題に対する真摯な姿勢も忘れられません。
三國さんは1923年群馬県に生まれましたが、父の仕事の移動先に伴い父の故郷である静岡県伊豆へ。幼少時から父に反発して家出を繰り返し、旧制中学を中退して様々な職業に就くなど目標のない生活でした。徴兵を忌避して捕まり、強制入隊。軍隊では仮病を使って入院し、これが彼の命を救いました。原隊はガダルカナル戦線へ送られ殆ど帰ってこなかったといいます。中国の漢口で敗戦を迎え、妻帯者なら早く帰国できると聞き、偽装結婚して復員。その後も職業を転々とする日々でした。
1950年暮れ、他薦で松竹のニューフェースにスカウトされ、翌年には木下惠介監督『善魔』の主役に抜擢。この役名をそのまま芸名にしたところが三國さんらしいところです。その後も、『飢餓海峡』の犬飼多吉、『神々の深き欲望』の太(ふとり)根吉、『釣りバカ日誌』シリーズのスーさんなど硬軟善悪なんでもござれの芸の幅広さは追随を許さないものでした。一方、役の追求のあまり、老人役で全部の歯を抜いたり、レイプシーンではリハーサルから本気で暴行するなどといった逸話も残っています。
父が被差別部落出身であることを公表しており、その出自と役者という職業の被差別性の意識を持ち続けた三國さん。沖浦和光さんとの対談『「芸能と差別」の深層』では、古典やアジア諸国までを視座に含めた芸能民を研究していたことが分かります。差別問題の講演も数多く行いました。自身が著し、かつ監督を務めた『親鸞・白い道』はカンヌ映画祭審査員特別賞を受賞。親鸞の平等主義を描いたこの作品をつくったのは、差別や戦争を人一倍憎んだ三國さんだからこそだったのではないでしょうか。
(参考資料:『日本映画人名事典男優篇〈下巻〉』キネマ旬報社)