雑誌「広告批評」の編集長を務め、テレビのコメンテーターなどでも活躍、「九条の会」の賛同者でもあった島森路子さんが23日、66歳の若さで亡くなりました。
島森さんは1947年、秋田県横手市生まれ。立教大学社会学部卒業後、講談社に入社しました。子ども向け百科事典や絵本などの児童図書の編集に携わりましたが、2年ほどで天野祐吉さんが主宰していた広告プロダクション「マドラ・プロダクション」に移籍。『ブレーン別冊 キャッチフレーズ3000選』の編集、映画『サルトル 自身を語る』の共同プロデュースなどを手がけました。
1979年、雑誌「広告批評」の創刊に参画し、初代編集長の天野さんを副編集長として支えました。この雑誌の目新しさは、広告を作品としてジャーナリスティックに論じたところでしょう。島森さんは広告クリエイターにとどまらぬその対象相手にインタビュアーとしての才能を発揮、休刊まで約200本にもなるインタビューはこの雑誌の名物でした。1988年、2代目編集長に就任します。
魅力的な彼女はメディアでも引っ張り凧で、テレビニュースのキャスターやコメンテーターなどでも活躍し、著書も多数。しかし病魔がその体を蝕んでいました。5年ほど前から体がしびれて筋力が衰える進行性の難病を患い、闘病していたそうです。雑誌「広告批評」も市場構造の転換を主な理由に、2009年に休刊。天野さんは「島森さんの病気も大きな理由だった」と振り返りました。
(参考資料:「島森路子さん死去:「広告批評」休刊のわけ 天野祐吉さん明かす」スポーツニッポン2013年4月24日付)