戦前から戦中、国策によって満洲(現中国東北部)へ入植し、敗戦後の逃避行によって多くの犠牲者を出した開拓団の苦難の歴史を伝える「満蒙開拓平和記念館」が、長野県阿智村に開館しました。
1930年代に本格化した満洲への移民は、国策として奨励されたものでした。協力した市町村には補助金が支払われ、国民には、1932年に建国された日本の傀儡国家である満洲国の理念である「王道楽土」「五族協和」のスローガンとともに、広い土地を開墾し豊かに生活できるという甘い謳い文句が喧伝されました。しかし入植地によって当たり外れが大きく、食うや食わずの厳しい生活となった人も少なくありません。
何より、その土地の殆どは元々中国人の所有。それを日本が強制的に非常に安く買い上げたものでした。1945年8月9日からのソ連参戦と、日本の敗戦で爆発した中国民衆の怒りによって開拓民の生活は一変。ソ連兵と暴徒から逃れるため、それまでの蓄えも何もかも捨てて逃げ惑うしかありませんでした。病気や栄養失調による死、集団自決など無残な極限状態を生き延びて、ほうほうの体で引き揚げてきたのです。
1929年の世界恐慌で基幹産業の養蚕、製糸業が大打撃を受けた長野県は、全国最多の約3万8000人を満洲へ送り出しました。そのうち2割以上が県南の飯田下伊那地方出身という こともあって、飯田日中友好協会の呼び掛けで建設を進めてきたのです。開館式では、87歳の元開拓団員が「満蒙開拓の歴史を後世に伝え残し、命ある限り平和を求めて歩み続けていくことを誓います」と平和の誓いを読み上げました。
※ 満蒙開拓平和記念館は、長野県下伊那郡阿智村駒場711-10。開館:9時30分-16時30分。入館料:一般500円、小中高生300円。休館日:火曜と第2、4水曜、年末年始。電話・ファクス:0265-43-5580。