マガ9editor's room

マガ9編集部発の情報やスタッフが書いたコラムを随時お届けします。

日めくり編集メモ 433

| トラックバック(0)

テレビCMで流れる「デイ・ドリーム・ビリーバー」は、あの独特の歌声…。きょう5月2日は忌野清志郎さんの命日です。4年前、58歳という若さでの死は幅広いファンに衝撃を与えました。

清志郎さんは1951年東京生まれ。ベンチャーズのコピーバンドを経て、中学の同級生である小林和生さん、破廉ケンチさんとともに「The Clover」を結成。これが「RCサクセション」の前身となるのです。都立日野高校進学後は幾つかのバンドの離合集散を経て、1968年「RCサクセション」が誕生。翌年TBSテレビ「ヤング720」に出演し、1970年に『宝くじは買わない』でシングルデビューしました。しかし1972年『僕の好きな先生』のヒット後は、バンドとしては不遇の時期を迎えます。

1976年発売の『スローバラード』も、当時は鳴かず飛ばず。しかし清志郎さんは精力的に活動を続け、あの独特のメークも始めました。次第に評価も高まり、1980年の『雨あがりの夜空に』発表前後からは人気爆発。 坂本龍一さんとの『い・け・な・いルージュマジック』以降は様々なアーティストとのユニットやバンドを結成。一方、RCは1991年無期限活動停止。それ以降も清志郎さんは俳優など活動の幅を広げましたが、癌に蝕まれて入院や手術を繰り返し、2009年、亡くなりました。

清志郎さんといえば忘れられないのが、1988年、反原発を歌ったRCのシングル『ラブ・ミー・テンダー』とアルバム『COVERS』の発売中止問題です。「素晴らしすぎて発売できません」という新聞広告を東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)は掲載し、原子力企業である親会社・ 東芝からの圧力が噂されました。しかし別会社からリリースされ、『COVERS』はオリコン初登場1位を獲得する大ヒットに。もし清志郎さんが存命なら、原発事故を忘れたかのような現在をどう見たでしょうか。
(参考資料:忌野清志郎official web site「地味変」

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://daily.magazine9.jp/mt/mt-tb.cgi/1084