酸鼻を極めた沖縄戦の実相を知るために、その記録フィルムを収集し、上映活動を続けた「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」。この会を長く支えた中村文子さんが27日、99歳で亡くなりました。
中村さんは1914年、本島北部・本部町具志堅の出身です。のちに「ひめゆり学徒隊」で知られることになる沖縄県女子師範学校を卒業後、尋常小学校の教師に。「私は立派な軍国教師だった」。ここで皇民化教育を進め、教え子を多く戦場に送り出してしまったことが、彼女の後半生の悔恨となり、平和運動に身を投じるきっかけとなりました。
小中学校の教師として1974年まで務めた中村さんは、教壇から子どもたちに平和の大切さを語り続けました。退職後は県婦人連合会で『母たちの戦争体験』出版を主導し、1986年からは「1フィート運動の会」事務局長に就任。沖縄戦映像の購入・収集と、その上映や学習会開催は、戦争の悲惨さを若い世代にストレートに追体験させるものでした。
中村さんが20年事務局長を務めた1フィート運動は沖縄県内はもとより国内外で高く評価され、沖縄戦映像資料の一大ライブラリとなりましたが、高齢化や一定の役割を果たしたことを理由に今年3月に解散。中村さんの訃報は、この解散に続く残念なニュースですが、戦争体験を継承していく決意を、私たちは新たにしていかなくてはなりません。