マガ9editor's room

マガ9編集部発の情報やスタッフが書いたコラムを随時お届けします。

日めくり編集メモ 461

| トラックバック(0)

「ノーモア・ヒバクシャ」と国連総会で訴えた、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)顧問で元代表委員の山口仙二さんが6日、82歳で亡くなりました。

山口さんは1930年、長崎市に生まれました。長崎県立長崎工業学校在学中、学徒動員されていた工場の裏で防空壕を掘っている最中に被爆。周囲の学生が多く死亡する中、顔と全身に大やけどを負いながらも命だけは助かりました。しかし、顔から胸にかけてケロイド痕が残り、熱線の影響で気管支は縮小したまま消炎剤が手放せず、心の傷も含めた後遺症に悩まされました。

1953年、ケロイドの植皮手術で入院中の山口さんは、被爆者が政府から何の援護も得られず放置されていたことへの怒りから反核運動を始めました。1956年に被爆者団体・長崎原爆被災者協議会(被災協)を結成。同年8月の被団協結成にもかかわり、被爆者援護法の制定運動を展開し法律を制定させました。この間1981年から2010年まで代表委員を29年間務めています。

彼を一躍有名にしたのは、1982年に開かれた第2回国連軍縮特別総会での、NGOを代表しての演説です。自らの顔や体に残るケロイドの写真を手に 「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」 と叫びました。その思いとは裏腹に、核兵器が拡散する世界と、原発事故によって新たな被曝者が出た日本を、山口さんはどう見ていたのでしょうか。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://daily.magazine9.jp/mt/mt-tb.cgi/1143