新派の初代・水谷八重子、文学座の杉村春子と並んで、戦後日本の「三大女優」と称され、女優として初の文化勲章を受章した山田五十鈴さんが亡くなって9日で1年が経ちます。
山田さんは1917年、大阪で新派劇俳優の山田九州男の娘として生まれました。1930年日活に入社し、『剣を越えて』で大河内傳次郎の相手役としてデビュー。『浪華悲歌』『祇園の姉妹』でスターの地位を確立し、東宝に移籍してからは長谷川一夫とコンビで『鶴八鶴次郎』などに主演しました。戦後は『たけくらべ』『流れる』『蜘蛛巣城』などで各映画賞を総ナメにするなど、映画界を代表する大女優となりました。
また、1950年から劇団民藝に2年間ほど在籍し、1954年には加藤嘉らと「現代演劇協会」を結成。1962年に東宝演劇部と専属契約を結び、以後は舞台女優として活躍しました。1974年の『たぬき』、1983年の『太夫(こったい)さん』で個人として芸術祭大賞を2度受賞。NHK大河ドラマや朝日放送の必殺シリーズといったテレビドラマにも出演し、1993年に文化功労者表彰、2000年に文化勲章を受章しています。
しかし私生活は波乱の一生でした。4度にわたって結婚・離婚を繰り返し、不倫で騒がれたことも度々でした。最初の夫・月田一郎との間の娘は自分を“捨てた”母を恨み、女優・瑳峨美智子となってからも金銭や薬物のトラブルを何度も起こして、すれ違ったまま母よりも早くこの世を去っています。70年以上もの間第一線で活躍し続け、かくもスキャンダルに彩られた大女優は、もう2度と現れないかもしれません。