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人を「排除する」街・2〜『渋谷ブランニューデイズ』のその後と「生活保護バッシング」

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 今年6月11日、朝。東京・渋谷区にある美竹公園と渋谷区庁舎地下駐車場が、区によって完全封鎖され、そこで寝泊りしていた大勢の人たちが、寝場所を失って路上に追いやられるという出来事があった。事前告知さえまったくなしの、暴挙としか言いようのない封鎖強行。その詳しい状況や野宿者たちの現状を知りたくて、7月3日に渋谷アップリンクで開催された、映画『渋谷ブランニューデイズ』アンコール上映とトークショーのイベントに行ってきた。

 『渋谷ブランニューデイズ』は、渋谷の街に暮らす「ホームレス」たちの姿を追ったドキュメンタリー作品(遠藤大輔監督/こちらにレビューも書きました)。その主な舞台となっているのが、今回閉鎖された渋谷区庁舎地下駐車場――通称「ちかちゅう」だ。映画の中にも、区職員が駐車場の閉鎖やそこでの炊き出しの禁止を告げ、野宿の当事者や支援者らの抗議によってなんとか居場所が確保される、というシーンが収められている。
 上映後のトークの前半では、映画の中にも登場する、ちかちゅうでの支援活動を続ける「聖公会野宿者支援活動・渋谷」代表の楡原民佳さんが、封鎖当日の状況を詳しく説明してくれた。

 美竹公園での封鎖がはじまったのは、6月11日の早朝。楡原さんたちが知らせを受けて駆けつけたときには、すでに公園はフェンスで包囲され、おびただしい数の警備員や制服/私服の警察官、そして機動隊があたりを取り囲んでいたという。「私がもっともひどいと思うのは、(野宿者や支援者への)告知がいっさいなかったこと。美竹公園で寝ていた人たちは、周囲でフェンス設置工事が始まった音で目を覚ましたようです」と楡原さんは言う。
 さらにその後、別の支援団体から「ちかちゅうも封鎖された」との知らせが届く。封鎖の正確な時間はわからないが、おそらく美竹公園と同じくらい。ちかちゅうに暮らす人たちは、駐車場が使用される日中は外で過ごし、夜寝るときだけ戻ってくるという生活パターンなので、封鎖が始まったときにはすでにみな出払った後だった。夜遅くに帰ってきて初めて封鎖を知り、途方にくれた人も少なくなかったという。

 翌日から、楡原さんたちは区への抗議・交渉に入ったが、ちかちゅうを管轄する区の経理課から返ってきた回答は、「(駐車場は)もともと寝泊りしてはならない場所。そこに寝泊りしている人たちに(閉鎖について)説明する必要はそもそもない」というもの。区には生活保護をはじめとする福祉制度があるのだから、路上で生活などせずにそちらを利用せよ、というのが一貫した区の言い分なのだ。
 しかし、実際には生活保護の相談に行っても、「住所がないと保護は受けられない」と(ちなみにこれ、まったくのデタラメである)と追い返されたり、紹介された住居が劣悪な住環境で生活保護費を吸い上げる「貧困ビジネス」の温床だったりといったトラブルが絶えない。「特に、ちかちゅうにいた野宿者の中には、高齢者や障害のある人も多い。中には福祉事務所に相談に行ったものの、職員とトラブルになって『もう来るな』と追い返された経験を持つ人もいます。そんなふうに、十分な福祉的な施策もない状況で、事前の告知もせずに彼らから寝場所さえも奪う。これはすでに、命の問題だと思います」
 美竹公園では、周囲をフェンスに囲まれながらも、まだかろうじて人々の野宿は続いているが、ちかちゅうに拠点を置いていた人たちは、別の公園へと寝場所を移さざるを得なかった。当初、楡原さんたち支援グループは、ブルーシートや寝袋を配布して雨風をしのげる場所をつくろうとしたが、こちらの公園を管轄する都が「『寝泊りしている』光景ができてくると、さらにホームレスが増えるから」と中止を勧告。今もなんとか寝泊りする場所だけは確保できているものの、雨が降れば防ぎようもなく、びしょぬれになるしかないような環境だ。「みんな、本当に弱ってきている」と表情を曇らせた楡原さんは、「なんとか、皆さん一人ひとりの力をお借りしたい」と、強く支援を呼びかけた。

 後半は、自立生活サポートセンター「もやい」の稲葉剛さんを迎え、最近の「生活保護バッシング」をテーマにしたトーク。まるで不正受給の蔓延が最大の問題であるかのように語られている生活保護制度だけれど、実際には不正受給よりも「受けられるのに受けられていない人」のほうがはるかに多いこと、福祉事務所で生活保護の相談に来た人を「住所を決めてから来なさい」と追い返すなどの「水際作戦」が行なわれてきたこと…。特にここ数ヶ月、生活保護を受けることが「恥」であるかのような言説がテレビ番組などで繰り返し流れる中で、受給当事者からは「怖くて外に出られない」「死にたい」といった悲鳴のような声が「もやい」にも殺到するようになっているという。
 また、強く印象に残ったのは「以前は権力側ももう少し『名目』をつくろっていたように思う」という稲葉さんの指摘だ。例えば、自民党の生活保護に関するプロジェクトチーム座長を務める世耕弘成参議院議員の「(生活保護受給者は)国に養ってもらっているんだから、人権は少々制限されても当然」という発言。遠藤大輔監督からも、荒川河川敷のフェンス設置工事において、国土交通省による工事計画書にさえ「野宿者排除が目的の一つ」という記述があったことなど、「野宿者がいなくなることは社会にとっていいことだ、という言説を、行政が先頭に立って作り出している」との指摘があった。もはや「人権はもちろん守らなくてはならないが…」といった、かつてあった「建前」さえ、そこには存在しないのだ。
  「この権力側のモラルハザードは、東日本大震災後の日本全体にはびこっている暴力的な風潮と軌を一にしているのでは」との稲葉さんの言葉に、思わず頷いてしまった。

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 稲葉さんはまた、昨年末に世界的な注目を集めたアメリカ・ウォール街での<OCCUPY>デモと、現在の日本の状況との違いにも言及していた。「We are 99%(私たちは99%だ)」というスローガンのもと、その99%が連帯して残り1%の富裕層に立ち向かおう、という運動だったOCCUPYデモに対し、今の日本では「99%」の弱者の間にさえ分断が存在し、生活保護受給者や野宿者のような、より弱い立場にある人々がバッシングの槍玉に上がっている。「みんながそれぞれに不安を抱いていて、けれどそれときちんと向き合うのではなく、誰かを叩くことで不安を紛らわそうとしているのではないか」というのだ。
 それを受けて、遠藤監督も「分断工作に乗らないこと」の重要性を指摘した。例えば、かつて「派遣村」が設置されたときにも、そこに集う非正規雇用労働者たちを、いわゆる「ホームレス」と一緒にするな、という声が一部であがった。けれど、そうして「99%」の中に分断を持ち込むことは、結局は「1%」を利することにしかならない。「今日のこの場のように議論を共有することで、権力が仕掛けてくる『分断の言論』にあらがっていくしかない」。
 たまたま「弱者」の立場に置かれている人たちを切り捨て、排除することで「見ないふり」をしよう、させようとする動きは、多分どんどん強まっている。それに抗う手立ては、おそらく「つながり続ける」ことしかない。この日のイベントは、雨模様にもかかわらず、立ち見が出るほどの盛況ぶりだった。それこそがきっと、かすかだけれど確かな希望なのだと思う。(n)

※渋谷区による野宿者排除については、こちらで抗議声明への賛同署名を呼びかけ中。7月7日(土)が締め切りですが、ネットからも署名が可能なのでぜひ。同じく7日には緊急渋谷デモもあります。

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