1994年、東京・銀座に吉本興業としては東京初の常設劇場「銀座七丁目劇場」がオープンしました。当時、夕刊紙記者の端くれだった私は、知り合いの吉本興業社員のツテを利用し、「取材」と称して、劇場によく出入りしていました。
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1994年、東京・銀座に吉本興業としては東京初の常設劇場「銀座七丁目劇場」がオープンしました。当時、夕刊紙記者の端くれだった私は、知り合いの吉本興業社員のツテを利用し、「取材」と称して、劇場によく出入りしていました。
大阪からの深夜放送といえば、「MBSヤングタウン」「ABCヤングリクエスト」が思い出されます。この2番組は「動のヤンタン、静のヤンリク」と言われ、関西の若者文化を席捲しました。
その姿をテレビで見たとき、「この人、放送していいの?」とマジで思いました。それが「みつまJAPAN」という芸人だったのです。
以前、ロシアで介護用製品の売り込みの可能性について調査したことがあります。ロシア人の平均寿命は、日本に比べて高くありませんが(男性にいたっては50歳後半という短さ)、中国同様、経済成長によって国民の所得が増えるとともに、高齢者層が拡大すると予測されるので、需要が高まるだろう――というのが日本のメーカーの期待でした。
今から15年ぐらい前、吉本興業が渋谷にオープンした「渋谷公園通り劇場」という劇場がありました。以前書いた銀座七丁目劇場の流れで、そこのスタッフとたまたま知り合いだった私は、あるとき「イベントの審査員をやってくれないか」と頼まれました。
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